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ミャンマーよもやまばなし

2020年10月22日

第1回 バガン遺跡とミャンマーの仏教

渡邊 佳成岡山大学大学院社会文化科学研究科 歴史学 准教授

 かつて「未知の国」「閉ざされた国」と呼ばれたミャンマーは、21世紀に入って「最後のフロンティア」として経済的に注目されるだけでなく、観光地としても脚光を浴びつつある。旅行社のパンフレットには、「黄金の国」「微笑みの仏教国」「黄金のパゴダ」などを謳うツアーが多く載せられている。
 国民の90%近くが仏教徒といわれるこの国で信仰されている上座部仏教は、仏教といっても日本の大乗仏教とは大きく異なっている。上座部仏教は、輪廻転生が永遠に繰り返されることを最大の苦しみと考えるミャンマーの人々に対して、その苦しみから解放される方法として二つの道を用意している。一つはブッダと同じように出家して僧侶になり修行瞑想し悟りを得る道、もう一つは在家のまま功徳(よい行い)を積んで涅槃に到達する道である。


シュエダゴンパゴダ(ヤンゴン)

 その結果、在家の信者は、嘘をつかない、人に親切にするなどのよい行いに努めるだけでなく、仏の教えを守ってくれている僧侶に普段の食事を布施しまた袈裟衣を寄進し、修行の場としての僧院を建立することによって、功徳を積んでいく。そうした中で、最大の功徳が自らの信仰のよりどころともなるパゴダ(仏塔、ストゥーパ)を建立することであった。パゴダは、もともとはブッダの死後その仏舎利をおさめた塚であり古代インドでは半球状の形態をとるものが多かったが、各地に仏教が伝わっていく過程で、さまざまな形態をとるようになり、ミャンマーでは円形もしくは方形の基壇の上に釣鐘状のものを載せる形をとるようになり、また、ブッダそのものと認識されるようになる(ちなみに中国や日本の五重塔、三重塔なども仏塔の系譜に連なる建造物である)。その結果、ミャンマー国内の至る所にパゴダが建設され、多くは煉瓦造りの上に白い漆喰を塗りその上に金箔を貼る黄金のパゴダの外観を持つようになっていった。


バガン遺跡1

 エーヤーワディー川中流域に成立したバガン王国(1044〜13世紀末)はミャンマー最初の統一王国であるが、この王国のもとで、国王や高官だけでなく財力のある人びとによってパゴダや祠堂、僧院が数多く建立され、バガン都城の内外のおよそ6.5km四方の地に約2300もの遺構が現存している。一カ所にこれほどの遺跡が集中しているのは例がなく、世界の三大仏教遺跡の一つとして多くの観光客を集めている。膨大な数のパゴダ、祠堂の建築を支えたのは、敬虔な信仰心はもちろんのこと、よりよき来世を求め涅槃への到達を願って功徳を積む人びとの思いが背景にあった。こうした宗教施設の造営は、奴隷労働によるものではなく賃金労働によって行われており、公共工事的側面を強く持ちバガン経済の活性化をもたらしたが、同時に寄進された土地や人(労働力)は免税となり、これらが集積されていくと国家の財政にとって大きな打撃となっていった。しかし、自らの正統性に関わる問題でもあるので国王はこれを止めることはできず、結果的に王国の衰退につながっていくことになった。


バガン遺跡2

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