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2023年12月15日

ミャンマーでの軌跡 ―岡山大学は何を残したか―(「岡山大学とミャンマー~医療協力の軌跡~」より)

木股 敬裕岡山大学 学術研究院 医歯薬学域 形成再建外科学 教授/岡山大学ミャンマー医療協力部 部長

 2008年夏、瀬戸内海の釣り船で飲む冷たいビールは格別だった。しかし、その5か月後に夜の煌びやかなパゴダを目に焼き付け、生ぬるいビールを飲むことになるとは。それから14年、ミャンマーの多くの知人、謎めいた文化、そしてビールに合う食事も、2019年12月のCOVID-19、2021年2月のクーデター後からは再び遠い国の出来事となりつつある。
 船上で小出典男名誉教授にMyanmar Health Research Congressでの講演を依頼されたのを皮切りに、これまで周囲の方々のサポートをいただきながら多くのミャンマー医療支援プロジェクトを担当し、2018年4月には岡山大学ミャンマー医療協力部(OMMC)を発足、何のためにと悩みながら、いろんな経験を経て現在に至っている。本記念誌は、岡田茂名誉教授が始められた時から25年を超える岡山大学のミャンマー医療支援の歴史を振り返ったもので、関係者の多くの方々に執筆をお願いした。その中で特に心の残る足跡を振り返り、岡山大学が残したミャンマーでの軌跡とは何であったのかを、素直な私見を含めて記述する。


「岡山大学とミャンマー ~医療協力の軌跡~」表紙

 岡山大学ミャンマー医療支援の歴史は、1996年の岡田先生を班長とする文科省科研費による「サラセミアの調査研究」、そして1999年からのJICA(国際協力機構)支援による「ミャンマーC型肝炎対策」と国立血液センター設立に協力したことから始まる。2002年からは将来の医療者育成のために、岡山大学で博士号取得目的の長期留学生と医療・研究技術取得のための短期留学生の受け入れが始まった。2002年12月にはミャンマー保健省と岡山大学との国際協力協定が締結、これは極めて希代な他国省庁と日本の大学との協定で、岡山大学が将来のミャンマー医療支援に極めて重要な役割を担うとのミャンマー保健省での認識が生じていた結果である。
 一方、当時のミャンマー軍事政権に対する欧米や日本政府の対応は厳しさを増し、文科省科研費による研究支援は継続するもJICA関連プロジェクトは2003年に突然中止となる。その状況にも関わらず、岡山大学は学長裁量経費(河野伊一郎11代学長・千葉喬三12代学長)にてミャンマー肝炎対策プロジェクトなどの支援を2006年まで継続する。
 さらに2004年からは、ミャンマー医学会で最大の学術集会である1月のMyanmar Health Research Congressにて、岡山大学教員を中心に医学知識や技術の普及のためにシンポジウムや特別講演などを毎年開催し、2020年1月まで延べ人数で98名(岡山大学ならびに協力機関関係者を含む)による講演がおこなわれた。16年に渡る一国の学術集会での持続的な最新情報の提供の影響は大きく、岡山大学で学んで帰国した短・長期留学生達が学術集会での岡山大学の企画を積極的に後援してくれるようにもなり、ミャンマー医療の教育や臨床研究の発展に良い刺激になったことは間違いない。
 さて、その後も大きな医療支援は続くことになる。2006年3月に岡田茂名誉教授がNPO法人日本・ミャンマー医療人育成支援協会を設立し、岡山大学をはじめ他の教育関連施設や病院との連携も広げ、より強固な支援体制を形作る。


Myanmar Health Research Congressでの最初の講演(2009年)

 2010年1月からは、私の専門である形成再建外科育成プロジェクトが開始された。感染対策もないハエが飛び回る手術室、管理されていない古い医療機器、血が止まらない電気メス、使いまわしの消耗品、詳細は形成外科ミッション(別項)に委ねるが、患者さんの安全を一番に考えると、実際の手術内容や日本からのスタッフと準備すべき機材には繊細な注意を毎回要した。さらに当初は単に現地患者さんの治療を目的としていたが、将来の発展には現地医療スタッフ教育がより重要と認識させられ、岡山大学形成外科での短期臨床研修生の受け入れと現地でのセミナー、そして研修生帰国後の手術指導に徹する体制に変更した。2020年2月までに436症例の手術を施行し、8名の研修生を受け入れ、現地で形成外科学会の創立まで後一歩というところまで発展させた。
 形成外科プロジェクトの現地臨床支援が始まると、岡山大学がミャンマーで医療人材育成拠点の設立(臨床アカデミー、臨床医を定期的に派遣し現地医師の育成を図る)の構想が始まる。これが後述する旧六大学(千葉・新潟・金沢・岡山・長崎・熊本)とJICA支援による大きな発展につながっていく。私は、その軸となって動いていく状況に追いやられていったというのが正直なところである。

 2012年2月、岡山大学定例記者会見で臨床アカデミー設立案を公表、読売新聞や読売オンラインにも掲載され、3月には槇野博史病院長を中心とする医学系幹部会で検討開始、さらに岡山大学医療支援案を手紙としてミャンマーのThein Sein首相に提出した。同時にJICAや外務省、日本ミャンマー協会(渡邉秀央会長)との連携も開始した。一方、JICAによる旧六大学のミャンマー工学教育拡充プロジェクトの開始情報を受け、当時の森田潔学長と荒木勝国際担当理事が推進するアジアを焦点とした旧六大学コンソーシアム戦略のなかで臨床アカデミー医療支援も提案していく方針となった。実際、医学部を土台として発展してきた旧六の学長、病院長、医学部長(吉野正岡山大学名誉教授)を軸とし、2013年6月の第1回国立六大学連携コンソーシアム協議会にて、本医療支援プロジェクトの推進が決定された。この動きは、2013年10月のPe Thet Khin保健大臣の来岡、続いて東京での国立六大学連携コンソーシアム・ミャンマー国保健省会議、そして両者の医療人材育成におけるRecord of Discussion締結へと繋がる。外務省・JICAがこの六大学案を受け入れ、2014年7月には医療人材の現状課題を調査するコンタクトミッションを現地で施行。その後六大学とミャンマー保健省が数回の会議を経て4.5年間で総額5億円の医学教育強化プロジェクト(Project for Enhancement of Medical Education: PEME)が決定、2015年4月から本格的な支援が開始され、岡山大学はその事務局を担った。支援の詳細は別項に委ねるが、国と国との折衝、大きな資金、旧六という垣根を超えた動きに翻弄されつつも、ミャンマー保健省や医科大学、そして日本の重鎮の方々に助けられスタートしたというのが実感である。ただ、本当の苦労はプロジェクト開始後に始まり、それはどのプロジェクトにも当てはまることであった。
 PEMEは、67名の短・長期留学生を受け入れ、2019年9月に成功裏に終了した。その後、ミャンマー保健省からPEMEで育成された人材を軸として更なる後継プロジェクトの要請があり、応じてJICAが基礎・臨床の人材育成拠点の設立と運営に向けた継続企画を立案した。国立六大学連携コンソーシアムもその案を受け入れ、2021年から4.5年計画、総額2億円のプロジェクトの推進が新たに決定された。しかしこのプロジェクトもCOVID-19とクーデターにより中止に追いやられる。

 本稿ではもう一つの大きなJICAプロジェクトを記載しておかなくてはならない。PEMEや臨床系支援の経験から、現地における医療機器管理の欠落という大きな課題が浮き彫りになってきた。火災を引き起こす無理な電源の接続、マニュアル操作の欠如、修理可能な機器の据え置き、寄付による最新機器の放置など具体例をあげたらきりがない。安全安心な医療の提供、医療スタッフの労力軽減、コスト節約面などで非常に重要な課題であると同時に、発展途上国に特有の共通課題でもある。医療機器管理人材(Medical Engineer: ME)の育成が不可欠であるが現地では皆無の状況で、その概念も確立していなかった。当時、私が最も信頼し尊敬していたヤンゴン第一医科大学のZaw Wai Soe学長に相談、その後、Myint Htwe保健大臣ならびに保健省の各局長と私との現地会議が実現し、現状の課題を説明したところ、非常に納得されたことを覚えている。それからは、日本ミャンマー協会の故仙谷由人氏(元内閣官房長官・日本ミャンマー協会副会長)のご支援をいただきながら公益社団法人日本臨床工学技士会(JACE)との連携を開始、日本各省庁との数回の会議そして官邸での説明を経て、2017年にJICA支援によるメディカルエンジニア育成体制強化プロジェクト(Project for Human Resource Development of Medical Engineering: MEP)(2018年から2022年の5年間で総額約5.5億円の事業)が決定した。岡山大学は、JACEと共にその運営を担うことになる。MEPでは、2018年6月にヤンゴン医療技術大学にて1年のDiplomaコースが開設し、JACEを中心とした日本スタッフが教育を担い、さらに修士課程教育として山口県の東亜大学にその役割を担っていただいた。クーデターにより予定変更を余儀なくされているが、現在もその支援は継続中である。
 臨床面の支援は、さらに乳がん検診プロジェクト、口腔がんスクリーニングプロジェクト、消化管内視鏡プロジェクト、救急災害調査事業および人材育成事業、看護人材育成プログラム、ミャンマーFDA人材育成支援(日本製薬工業協会)、短期研修生受け入れ(整形外科・脳外科・病理学・乳腺外科など)、など非常に多くのプロジェクト等が進められた。また、岡山大学より麻酔器、歯科用診療椅子、蘇生セットなどの寄付もおこなわれた。
 学部学生の交流も大きな特徴的な出来事である。2013年、2015年、2016年と岡山大学医学部学生の計6名が現地でヤンゴン第一医科大学の授業や学生交流、そして形成外科の医療支援を経験した。並行して、2016年から岡山大学の基礎病態演習と医学研究インターンシップ(Medical Research Internship: MRI)にミャンマー医学生を受け入れ、2019年までに計60名が岡山大学に3週間から3か月滞在し、岡大医学部生と一緒に有意義な時間を過ごした。ミャンマーの医学部生は全国から選抜されただけあり非常に優秀で岡大医学部生にとっても非常に刺激的な経験となった。一方、2019年2月には多分野医療系学生人材育成プログラムとして、医歯薬保健学の学部学生10名をミャンマーとベトナムに派遣し、ミャンマーでは現地医学部学生20名とワークショップや施設見学をおこなった。
 その他特記すべき点は、文科省から2014年度の「留学コーディネーター配置事業」のミャンマー拠点設立に岡山大学が採択されたこと、そして、2014年8月19日の岡山大学国際同窓会ミャンマー支部の設立(岡山大学に留学した医学部80名、津島地区20名の約100名が同窓生としてミャンマー支部員となる)があげられる。様々な臨床系プロジェクト、学部学生交流、同窓会設立などにおいて、認定NPO法人日本・ミャンマー医療人育成支援協会の功績は非常に大きい。

 以上、重要な足跡を述べてきたが、約25年に渡り支援が続けられてきた理由は、なんと言っても岡田茂名誉教授の熱意の賜物と言わざるを得ない。何事も楽しむ、そして諦めない、その姿勢に当初から支援に加わった小出典男名誉教授をはじめ、多くの岡山大学の重鎮の方々や私を含む現役教員が引っ張られて来たというのが実感である。おそらく、その姿勢にミャンマー重鎮の方々が岡山大学に強い信頼を寄せている理由がある。
 一方、医療支援は茨の道でもあり、いろんな辛労や犠牲を伴うこともある。大きな理由として、1)物資・設備の圧倒的不足、2)医療従事者の不足、3)同じ職種間や多職種間での強い上下関係、4)全ての手続きや決定に非常に時間がかかる、などがあげられる。基本的に1)と2)に関しては、短期間や小規模の支援では限界があり経済発展に依存した長期的な視野が必要になる。さらに1)に関して、最新の医療機器や設備を支援しても、それを管理運営できなければ倉庫入りとなり、私自身が埃をかぶった多くの姿を見てきた。また、日本で最新の研究技術を学んでも、それが現地で活かされ発展するかどうかは物資や設備の面で非常に大きなハードルがあり、2)の面で学んだ技術を活かせる職場につけることも少ない。日本の医療者数はミャンマーと比べて豊富で、また専門領域がある程度定められている。しかし同様のことを求めると現地の医療が成り立たなくなる。日本では職務外の医療であっても、現地では対応せざるを得ないことが多く、特に看護師や助産師、他の保健スタッフ、そしてエンジニアなどがそれにあたる。疾患の内容も日本とは異なるため、たとえ最新医療でもそれが現地で必要な医療とは言えないことも多くその導入には深い議論と検討を要する。PEMEやMEPを含め基礎・臨床面での支援をする中で、本当に必要な支援とは何か、常に反省と改良の連続を余儀なくされた。
 3)に関しては、その国の歴史や文化が大きく影響してくる。同じ職種間のヒエラルキーは非常に強く、良い点もあるがresponsibilityやaccountabilityの欠如につながることもある。一方、多職種間のヒエラルキーも強く、チーム医療へのハードルがまだまだ高く多様性にも欠けるため、これらが医療・医学の発展の障害になることもある。さらに、4)は、プロジェクトの人材不足とresponsibilityの欠如がその理由ではないかと思う。現場で迅速に判断できることさえも、その決定をトップに委ねる傾向があり、日本であれば短期で結論がでることが、手続きや決定までに半年かかるというのが普通である。これには常に悩まされ、本当に期日までに実現するのかといつもハラハラドキドキの連続であった。計画や会議内容の変更は当たり前で常に我慢が要求されるが、これも慣れてくるのが不思議である。

 順風満帆でないことが常の中、私も含め岡山大学の関係者が強く感じてきたことは、短・長期留学生も含めて極めて優秀で真摯に患者を治すためと自国の発展に一生懸命になっている姿であった。敬虔な仏教国という歴史と文化の賜物かもしれない。実際に岡山大学で勉強し、現地で教授などの幹部に昇進した人達が10名弱いることは素晴らしい結果である。ミャンマーの一般の人も含めて個々の人々の姿勢や思いは素晴らしく、尊敬すべきところも多々ある。そして一度できた縁、信頼関係は強固なものになる。しかしここが不思議なところであるが、思いは素晴らしくても地位や富、そして教育を含めた脆弱な社会システムに医療職も含めて翻弄され、結果として前に進まない状況が生じているのも事実である。実際、私が現地で手術を終えた後に、地位の高いご婦人などが別室にこられ美容的な手術を要求されることもあった。でもこれもある意味人間の自然な姿として受け入れられるようになった自分がいる。
 一方、実臨床とJICAプロジェクトの経験で感じたことは、日本は遊園地で医療をするようなもの、すなわち全ての設備が揃い我々はそれに乗って医療をするだけの状態に対し、ミャンマーでは何もない原っぱで全ての設備と物、そして人材まで作り出して医療をすることが望まれる。すなわち常に工夫して何かを生み出すことが求められ、少しでも成果が得られれば楽しいという感覚に結びついていく。私は米国などの発展した国の留学も経験し、同時にミャンマーという途上国の経験もした。そこから導きだされたことは、医療とは何か、教育とは何か、日本とは何か、などの根源的な問いである。正解はないが、おそらくミャンマー支援に関わってきた方々も内々に感じてきたことではないか、そしてそれが長い間支援を続けられてきた理由ではないかと私なりに感じている。

 残念ながら、2019年のCOVID-19、そして2021年のクーデターにより医療支援の歴史は中断せざるを得ない状況に陥った。しかし、細々とではあるが長期留学生の受け入れは続いている。これまで長短期留学生および研修生として岡山大学で育成された人材は延べ228名に上り、岡山大学関連機関での研修も含めれば約250名以上に達する。本事業に関わった日本とミャンマーの方々全員が将来の患者のために、ミャンマーの医療発展を願いおこなってきたことは間違いない。また前述したハードルを多くの人が経験しているだけに、それによって沸き起こされた喜び・辛さ・苦しみ、工夫そして楽しみにより築き上げられた深い信頼関係、これこそが岡山大学が残したミャンマーでの偉大なる長くて幅広い軌跡である。軌跡はこれからも途切れることなく続くであろうし、また政情が安定した後に再び新たな岡山大学とミャンマーの歴史、そして奇跡?が始まることを信じたい。

 稿を終わるにあたり、長きに渡りご支援いただいた岡山大学の関係者の皆様、旧国立六大学、岡山大学関連施設、岡山県医師会の皆様、外務省、経産省、そしてJICAの皆様、日本ミャンマー協会、日本製薬工業協会、各ミャンマー関連企業の皆様、JACE、東亜大学、岡山理科大学などME関連の皆様、消耗品などの寄付をいただいた医療関連企業の皆様、NPO法人日本・ミャンマー医療人育成支援協会の岡田先生、笠井先生、西山央子様を含めた皆様、OMMC事務局の増田さん、そして最後にミャンマーの重鎮の方々に、この場を借りて深く感謝申し上げます。

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