Laguage

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日本の皆様へ

ミャンマーよもやまばなし

2020年12月15日

第7回 ミャンマー人留学生と在ミャンマー日本人留学生について

Thuzar Hlaing(トゥザライン)東京外国語大学 世界言語社会教育センター 特任外国語主任教員

 留学!思えば長い道のりだった。2009年6月、ミャンマー人留学生として来日し、日本語学校に入学した。2011年からは東京外国語大学で、まずは学部研究生として、その後は大学院生として言語学を学んできた。日本に来てから10年、ようやく留学生生活から卒業した。そして現在では日本人学生のビルマ語教育に携わっている。

 私が来日した当時は日本に留学することはそれほど簡単ではなかった。国費留学生は公務員に限られており、多くは私費留学生だった。私費留学生は日本語学校に通ってから、進学を目指す人が多かった。仕送りだけでは生活できず、勉強とアルバイトを両立しながら、目標に向かおうとしていた。中には夢を実現させられなかった留学生も少なくなかった。しかし現在は状況が大きく変わり、様々な留学のスタイルが実現可能になってきた。

 複数の日本の大学がミャンマーの大学と協定を結ぶなど、交換留学生の受け入れを行うようになった。来日前から、受けられる奨学金制度も創設された。そういった大学のサポート体制のおかげで、学費や生活費はもちろん、これまで厄介だと言われてきた大学入学やビザ取得に関わる複雑な手続きや手続きに伴う高い費用についても、負担はだいぶ減ったと思う。


ミャンマー人交換留学生たちの着物体験(2020年2月)

 ここからは、私がこれまでみてきた東京外国語大学のミャンマー人留学生と、日本人学生のミャンマー留学について紹介したい。私が入学した2011年に東京外国語大学に通っていたミャンマー人留学生はみな私費留学生だった。日本人学生も休学して私費で留学するしかなかった。せっかく語学を学んでいるのだから現地に留学をしたいと考えても、4年間で卒業を目指す学生は留学を諦めるしかなかった。また、受け入れ先も限られていて、語学を学ぶ外国人が通えるのはヤンゴン外国語大学だけだった。

 その状況が、2014年に大きく変化した。大学生による民主化運動が起きた1988年以来閉鎖されていたヤンゴン大学の学部の授業が再開することになった。その再開直後に、東京外国語大学はヤンゴン大学と協定を結んだ。それ以来両大学では、交換留学制度を実施し、学部レベルの短期及び長期の派遣と受入、大学院レベルの学術交流を行うようになった。


ご本人提供:ヤンゴン大に長期留学していた日本人留学生が修了式にミャンマー舞踊を披露(2018年9月)

 この交換留学制度がはじまって以来、留学を希望する両国の学生に対するサポート体制が充実した。これまで、ミャンマーに留学を希望する日本人学生にとって、ビザの発給手続きの遅延や、住まい探しなどが悩みの種であった。しかしこれらの問題も今では、ヤンゴン大学に対応をしてもらうことができる。ときには、日本とは異なる柔軟な対応をしてくれる。また、東京外国語大学では、留学生課とビルマ語学科の教員が連携してミャンマー人留学生のサポートを行っている。

 そして、留学を終えた学生たちからは、語学の勉強はもちろん、文化体験なども楽しむことができたという声がたくさん寄せられている。日本人留学生の報告からは、ミャンマー滞在中に自らの研究や論文執筆のために資料収集やフィールド調査を行ったり、伝統舞踊を体験したりするなど、充実した留学生活を送ってきた様子がうかがえる。また、ミャンマー人留学生は、日本に来て、日本への理解を深めることができた、また日本に来たいということだった。


短期留学中にミャンマー伝統のタナカーを体験している日本人留学生(2019年8月)

 留学できる方法がたくさんあって、意欲さえあれば、夢に向かって進んでいける、そんな時代が来ている。おかげで、学生たちのモチベーションも上がり、教育効果にも表れているように思う。両国の協力のもと、互いの往来が活発になり、留学後も交流が続いている。

 今年は新型コロナウィルスの影響で留学の延期・中止を余儀なくされている学生たちが多くいると思うが、現在ではオンラインでの教育や交流が行われている。今できることに取り組んでいれば、その後にはきっと明るい未来が待っているに違いない。今留学できない学生たちもそう遠くない未来に世界に飛び立つ日を迎えられると信じている。

 来日して10年が過ぎた。今度は私の経験を生かして次世代の若者を応援していきたい。

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